秋葉原事件(2008年6月8日)

以下、
無差別殺人犯を読む(4
http://blogs.yahoo.co.jp/vosot_just/64468515.html 
より


被害者遺族の叫び

同上


ここに、もう一つの共感がある。



「まったくそのとおりだ」と言わざるを得ない。



そして、ここにも、加工されていない「生」の言葉があるのだ。 



加害者にもなりえた、被害者にも、被害者の遺族にもなりえた存在。 



そして、けっして過去完了形ではなく、これからも「なりえる」存在。 



両腕でかろうじてバランスを取りながら平均台の上をそろりそろりと歩くような危うい存在であることを想わずにはいられない。

    
加害者・加藤智大は、家庭環境に大きな問題があった。それは、連続ピストル事件の永山則夫にも共通する。しかし、家庭環境に問題があったとしてもその犯した罪の重大さは否定されない。犯した罪に相当する刑罰が課せられるのは当然だ。

不遇な境遇にある者がすべて問題行動を起こすわけではない。生きるのが困難な状況ににあってもその辛さに耐えて多くの人は生き抜いている。「一人では死ねなかったから誰かを殺して死刑になりたかった」などと言って無差別殺人に走るなど、甘えるのもいい加減にしろと言いたい。
        


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